ずいぶん昔の事になるが、屋台風のタイ料理屋で知り合った大分年嵩の男が会話の中で
「それじゃ、ちみ、朝起きてすぐタバコ吸うんだ?」
と聞いてくるので「ええ」と答えると
「それじゃ、アサプシュは?」と聞いてくるので
「アサプシュ」ってなんだろう?なんかそれを吸うと気持ち良くなるハーブかなにかかしら?と思い
「アサプシュって何ですか?」と聞くと
「それは、ちみ、朝からプシュですよ」と言うので、妙に合点して
「ああ、ええ、休みの日なんかはたまに」と答えると
実に嬉しそうに
「それはちみ、緩慢な自殺だね」と言うのだった。
8月1日の東京新聞の書評欄で絓秀美という文芸批評家がスラヴォイ・ジジェクという人の『ポストモダンの共産主義』という本を書評している。
その中に
「1989〜91年の冷戦構造の崩壊で、資本主義の勝利を意味する『歴史の終わり』が宣告された。その後の推移は資本主義の幸福な勝利ではなかったが、もはや悲劇も喜劇もたくさんだ、資本主義の矛盾が拡大している事は承知しているがなんとか『緩慢な自殺』を遂げる事にしようというシニシズムが、欧米や日本をおおっている」
という一文があって、実に頭にくる。
「そんなシニシズムとやらを口にする奴は俺の周りにはいねえけどな」という思いもあるが、それよりなにより『緩慢な自殺』っていったいなんなんだ?
自殺に緩慢も性急もないだろが。『失われた10年』くらい頭にくる言葉だ。考えても見れば『歴史の終わり』と言う言葉もむかつく。
あー、怒りの季節はまだまだ続く。『ランボー怒りの脱出』でも見ようかな。