先日、家族(嫁・猫)が寝静まった家の仕事部屋で、お酒を飲んでいると、所謂酒飲みの言う「明晰な一瞬」が不意に訪れ(だいたい次の瞬間にはそれが何だったのかを忘れてしまうのだけど)その尻尾を捕まえるために「新しい酒を!」と椅子から立ち上がり冷蔵庫へ向う途中、床に置いてあったダンベルに左足の薬指をぶつけ(というよりも、ダンベルを左足で蹴った)一人息を殺してダンゴムシのように床の上をのたうち回った。
「誰がこんな物を、こんなとこに置いたんだ!」
と怒りに駆られるも、そこにダンベルを置いたのは自分以外にいないわけだから、誰にも文句も言えず、ただひたすらそのダンベルを睨んだ。
ダンベル。dumb(音の出ない)bell(鐘)の意らしい。はるか昔の人々はあの教会の鐘を重しにせっせとワークアウトに励んだのだろう。
ダンベル。見れば見るほど不思議なものだ。見るだけでなく試しに持ち上げてみても依然不思議なものに変わりない。だいたいこのダンベルというシロモノ、その上げたり下げたりの労働に対して、何の価値も生み出さない。生み出すものはせいぜい筋肉疲労ぐらいなものだ。これだけ発達した資本主義社会の中で、これはあまりにも野蛮なことではないだろうか?しかも持ち上げたり下げたりする回数よりも、足をぶつける回数の方が多い気がする。なので「こんなものは粗大ゴミとして捨ててしまえ!」と思う自分もいるのだが「やはり男子たるもの、家にダンベルの1個や2個はあった方がいいと」思い直し、
「もう少しここに置いとこ」
ということになった。そして多分、また足をぶつけるのだろう。ヤレヤレ。